創業物語
なぜ、リフォーム会社を始めたのか
私、創業者の野々村は1994年から10年間、父が社長である瓦工事店を取り仕切り、滋賀県でトップ10に入る瓦工事店にしました。瓦職人として、そして経営者として充実した日々を送っていました。その私がどの様な経緯でリフォーム会社を始めたのか、お話したいと思います。
父の背中を見て育った幼少期、そして進路選択に悩んだ青年期
私の父は愛知郡愛荘町の「野々村瓦店」で職人の親方として、毎日屋根に上がっていました。地域の活動にも熱心で、議員として12年間勤め上げたほどです。地元ではちょっと名の知れた父でした。
私は長男として生まれました。小学生の頃の私は、屋根を葺いている父の姿を見て、「父ちゃんかっこいい!僕も屋根に上がって仕事するぞ」と幼いながらに心に決めていました。 休日という感覚がない父は仕事と地域の活動ばかりしていて、あまり遊んでもらった記憶はありません。雨の日にトラックで弟とマクドナルドに連れて行ってくれたことが唯一の思い出です。父はハンバーガーを食べずに牛乳を飲んでいました。
大学卒業後、就職先として父の会社に入るのではなく、他の瓦屋さんに修行に行きました。今から思うとそれは正解でした。ただの職人の立場だからこそ聞けた、職人さんの本音や、経営者のもらした言葉がたくさんあったからです。
父の会社に戻ってからは職人として、トコトン技術習得に没頭しました。社寺建築でわからない事があった時には、日本で一番と言われている京都の瓦屋さんに教えてもらいに行ったり、長野県の瓦屋さんが最先端の事をしていると聞きつけると、面識も無いのに電話をして会いに行ったりしていました。 しかし、一生懸命仕事をしているうちに、なぜか心の中にモヤモヤとした気持ちが生まれてきたのです…。
「滋賀県一番になるぞ」と意気込んで、自分のリフォーム会社を立ち上げる
「果たしてお客さまの望んでいる事を、叶えてあげられているだろうか?」 「私の自己満足になっていないだろうか?」 「お客さまの本当の満足とはなんだろうか?」
そう思い始めると技術のみならず、車の止め方、ご近所に対する心遣い、タバコ、全ての基本であるあいさつ等も気になり始めました。そして少しずつ改善していくうちに次の言葉が出てきたのです。
「お客様からすると職人だからいい仕事をするのは当たり前、その他の気遣いがあってナンボだ!建築は真心を込めたサービスだ。」 ということは、 「お客様の求める価値=工事品質×サービス×価格」だ。
なんて自分はいい事を思いついたんだ!思わず自分で自分を褒めてしまいました。 売り上げも伸び、お客さまからも「兄ちゃん気がきくね。」「兄ちゃんの店には、いい職人さんがいるね。」と声を掛けて頂けるようになりました。
そうなってくると今度はこんな気持ちが芽生えてきました。 「もっと人と直接触れ合う仕事がしたい。」 当時、工務店さんの下請けが7割を占めていたので、直接、お客様の声を聞き、形にするには限界もありました。
思い立ったらやらないと気がすまない私は、「よし!家全体のリフォームで自分の想いをお客様に伝えよう。きっとお役に立てるはずだ。実行あるのみ。」と決心したのです。
そうして、瓦店でリフォーム工事をしていくうちに、またモヤモヤとした気持ちが生まれてきました。 「もっと大勢のお客様に、私の考えたリフォームのあり方を知って欲しい。そしてもっと大勢のお客様の役に立ちたい。そうすると、瓦店の副業としてのリフォーム事業部ではなく、腹をくくってリフォーム会社として始めるしかない!」そうしてリフォーム会社を立ち上げる決心をしたのです。
決心したのは良いものの、ここからが本当に大変でした。両親や親戚、知り合いからは「何をバカな事を言い出すのだ。」と大反対されました。 しかしもう止められません。ワクワクして仕方なかったのです。滋賀県一番になるぞと意気込んで、瓦店は弟に任せ、新しい会社を立ち上げました。33歳の冬でした。気持ちは春でした。
試練の連続・・・
「安くて、いい仕事を、真心を込めてしていれば、皆様の口コミで何とかなる」と信じていましたが、そう上手く行くものではありません。現実は厳しいものでした。
毎日「どうすればいいのだろう。」と考え悩みました。「いっそ辞めてしまおうか。」と思ったこともありましたが、「自分の決めたことだから」と歯を食いしばりました。妻と手作りで作ったチラシを、一軒一軒、配ったこともあります。怪しい目で見られる事に耐えられず、夕方暗くなる頃に、ポストにチラシを入れて回った事もありました。
やっと見積させて頂き、いい感じで話が進みました。そして「来週に返事する。」と言って頂いたので期待しながら待っていたのですが、いっこうに連絡がありません。
訪問すると「セキスイのリフォームに頼んでしまった。」とおっしゃるのです。「理由をこれからの為に教えてください。」と尋ねると。「やっぱり大手だからかな。申し訳ないけど理由はそれだけなんだ。」という返事です。私は愕然としました。相手は誰もが知る日本最大級の住宅会社、こちらはほぼ個人事業主。「お客様やその家に対する気持ちではどうにもならないのか・・・。」悔しくて涙も出てきませんでした。
その一方でこんなありがたい事がありました。 父を知っていると言うおばあちゃんが「大変だね、いっぷくしていき」と温かいお茶を出してくれたのです。何とも言えないものが、私の心に深く突き刺さりました。
役に立ちたい」という気持ちを思い出す
おばあちゃんのお茶をいただき、頑張る理由を再認識出来ました。 こういった優しい方がまだまだ悪徳業者の餌食になっているはず。自分が頑張って役に立ちたい。「なんかあったらここに電話してきて」と、紙に大きな字で電話番号を書いて渡しました。
そのことがきっかけとなり、「受注したい」という気持で動いていた自分に気づきました。 その日から、もう一度初心に帰り、お客さまと向き合おうと決心しました。 それからの私は、一人一人のご要望を一生懸命に聞き、その人の立場で考えるようになりました。そうしているうちに、少しずつ良い方向に向かい、忙しくさせて頂けるようになって来たのです。今ではご紹介も増え、軌道に乗ることが出来ました。
想い
しかし、今振り返ってみても、私は特別変わったことをしてきたわけじゃありません。お客から学ばせていただいた事を、コツコツやってきただけです。
こんな経験から、少しだけ生意気なことを言います。私どもがお客さまの生の声を聞き、「頼んで良かった!」と言ってもらうことを仕事にしてきたから言える事です。 技術を知り活用する事は大切です。技術の進歩が無ければ、人類はここまで進歩しなかったでしょう。その意味で、技術はものすごく大切です。 しかし、建築は技術だけではダメなのです。真心がこもっていないと。もっともっとたくさんの人に出会い、リフォームの素晴らしさを伝えたいと思っています。
現在に至る
おかげさまで順調に伸び、支店を出店することが出来ました。 ある時「リフォームにしようか?新築しようか?と迷っているのに、新築のことは他社に足を運ばなければならない。これはとても不便だ。それに新築にする場合、別の場所に建てることも考えるから、土地も一緒に相談出来たら凄くいいと思う。」そんなお客様の声をいただきました。お客様は「すまい」という一括で相談できる方がいいのです。 そこで、不動産、新築を新たな事業として加えて、エリアを広げるのではなく深掘りしようと決めました。
そして新たに次の目標が出来ました。 地元の空き屋対策を行う。 高齢者の住まいのよろず相談の窓口という存在になる。 ビジネスと社会貢献の両立が出来ると確信しています。地元で必要とされる企業を目指してこれからも一歩一歩、歩んでいきたいと思います。
桃栗柿屋 代表取締役会長 野々村新治